Pianist AZUMI 'S Photo diary Sounds and Poem in Spain

ピアニスト 安澄・AZUMI スペイン 音と詩をさがして

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2016.05.22 Sunday

ダダについて思うこと、連想する事 ツァラはすごい 

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    音楽におけるダダイズムというのはあまり取り上げられないテーマ

    あえていうと、叫び声やノイズ音楽のような突飛なパフォーマンスが有名だけれど
    それは多分、氷山の一角ではないか


    初期から、音楽と詩はダダにとっては重要なテーマだったようで
    ダダの会合ではシェーンベルグ、ベルグ、ドビュッシー、ラヴェル、ミヨーなど
    意外にメジャーな曲が演奏されていた



    ツァラは若い頃バッハが好きだったとか
    ルーマニアの彼が生まれ育った町にはロマの人々が定住してたそうで
    ロマといえば、スペインのジプシーたちの源流
    フラメンコのおおもとだ

    やっぱりそういう音楽も耳にしていたのだろうか ?

    7月の演奏会では、100年前にタイムトリップして、
    当時のキャバレーヴォルテールで演奏されていたような音楽を演奏して
    再度、ゼロ地点に戻ってダダについて考えてみたいのだ




    後にツァラの詩集に挿絵を添えた同じスイスの画家クレーもバイオリンを愛好していたし、
    ツァラや仲間の芸術家らも、当時の音楽芸術と切り離せないだろう。
    話は飛ぶけど、モディリアーニはラヴェルのピアノコンチェルトの2楽章が大好きだったという。


    言葉から意味を剥ぎ取った音のみ(フォネティック)の詩「音響詩」のルーツは
    彼がまだルーマニアにいたときに触れた黒人詩集の、ツァラにとっては意味をなさない
    不思議な音の組み合わせだそうだ(まだ勉強中だけど)

    音と言葉の関係はとても複雑だ
    (日本のレストランでメニューの説明を受けるときに
    音と色とパルファンの玉手箱みたいと感じることもあれば
    わたしにとってまったく意味をなさない言葉の羅列だけれど美しい音楽だと感心することもある)

    第一次世界大戦の悲惨な世界から生まれたダダイストたちの姿勢、彼らの芸術は
    一般に思われているほど突拍子もなくて、必然だと、自然に思うが、
    それは問題提起の仕方に、思考回路に、心情に同調するのあるだけで。

    ダダのパフォーマンスが生んだ「サーカス」的な楽しいお祭り騒ぎと
    彼らが芸術に求めた「直接的原初的なもの」はパロディでしか実現できないのではないか、という、実に凍てつくような虚無感

    人間や言葉、芸術に対する絶対的な不信感
    ダダが生まれて100年経つが、
    ツァラたちが一生かけて追い求めていた答えは、まだ出ていないのだ

    わたし自身、「わかった」と思った途端にするりと手から逃げてしまう、そういう自分の影みたいなものを
    それを永遠に追っている最中で、まだ結論は出したくない


    この二面性の残酷なまでのニヒリズムは、現代特有のものだろう
    どちらかというとシュルレアリスムのほうが随分救いがあると思うなあ




     

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